ジョージ・ソロスってどんな人?名言や投資手法を紹介

ジョージ・ソロス

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まりえ

世界中には巨万の富を築き上げた投資家がたくさん存在しますね。

その中でも三大投資家と呼ばれるウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロス、ジム・ロジャースの3人には投資哲学だけでなく、人生観からも多くのことを学ぶことができますよ。

ここでは三大投資家の中でも「最強の投資家」「ヘッジファンドの帝王」「イングランド銀行を潰した男」などの異名を持つジョージ・ソロス氏についてご紹介します。

ジョージ・ソロスのプロフィール

生年月日:1930年8月12日(90歳)
出身地:ハンガリー
職業:投資家・慈善家・哲学者・政治運動家
ソロス・ファンド・マネジメント会長
オープン・ソサエティ財団創設者
中央ヨーロッパ大学(CEU)共同創設者

あだ名

「最強の投資家」
「ヘッジファンドの帝王」
「イングランド銀行を潰した男」

ジョージ・ソロスはハンガリー・ブタペスト出身のユダヤ系ハンガリー人で、現在は米国人に。

投資家であると同時にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで博士号を得ている哲学者でもあります。

ハンガリー・英国での青少年時代

ハンガリーのブタペストで弁護士で作家の父の次男として生まれました。

典型的なブルジョア系ユダヤ人でしたが、ジョージ・ソロスが6歳くらいのころからファシストが台頭し反ユダヤ主義が広まってきたことに危機を感じ、姓をユダヤ人に多いシュヴァルツ(Schwartz)からショロシュ(Soros)に変更します。

ホロコースト

13歳のとき、ナチス・ドイツがハンガリーを軍事的コントロール下に置き、ホロコーストが始まります。

翌年、ブダペストでナチス・ドイツ軍とソ連軍の市街戦による虐殺に際し、ハンガリーを出国。

この時、ハンガリーではハイパーインフレが起き、ソロスは最初の通貨取引を経験します。

1946年、英国に逃れる

1947年にスクール・オブ・エコノミクスに入学しますが、学費と生活費を自分で稼ぐため、鉄道の貨車の積み込みとウェイターの仕事を昼夜行い、何度も無一文になる経験をしています。

1956年、アメリカへ

学校を卒業した後、しばらく仕事を転々としますが、1956年に夢だった哲学者として自立する資金を稼ぐためにアメリカに渡ります。

ジム・ロジャースと設立したクォンタム・ファンドで4200%のリターンを得る

1956年、26歳の時にソロスはアメリカに移住し、ウォール街の証券会社F.M.マイヤーで仕事をすることになります。

その後15年間、何社かの証券会社で仕事に従事。
投資スキルを磨き上げていきます。

1969年、39歳の時にジム・ロジャースと共にのちのクォンタム・ファンドとなるファンドを設立します。

クォンタム・ファンドは1973年〜の10年で驚異の4200%のリターン。
ちなみにこの10年間の間、S&Pは47%しか上昇していません。

ソロスのクォンタム・ファンドはヘッジファンドの先駆けともいえる存在ですが、のちにこれほどまでの成績を収めたヘッジファンドはまずありません。

クォンタム・ファンドは結局、1973年から2013年まで400億ドル以上稼ぎ出したといわれています。

「イングランド銀行を潰した男」として世界的に有名に

ジョージ・ソロスを一躍有名人にした出来事といえば1992年に大量のポンド売りを仕掛け、イギリスのERM脱退を決意させたブラック・ウェンズデーです。

英ポンドの暴落させ「イングランド銀行を潰した男」として名を馳せることに。

きっかけは1990年の東西ドイツの統一

1990年、英国は欧州為替相場メカニズム(ERM)へ参加します。

これは、欧州の為替相場の変動を抑制し、値動きを安定のためつくられた制度で、加盟国はお互いの為替レート幅を±2.25%以内にすることで合意していました。

欧州といっても経済構造はドイツが中心で、実際には各国はドイツマルクに対しての変動幅を固定していました。

さらに各国は、もし自国通貨が変動制限幅の下限に近付いた場合、利上げを行ってインフレ抑制をするという暗黙の了解がありました。

そのような仕組みの中、1990年にベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統一します。

経済規模が小さかった旧東ドイツに西側の経済が流れることで一気にドイツの経済は活性化します。

一方、他の欧州の国々は景気後退局面に入っていましたが、ERMがあることでドイツの好景気に追随するしかありませんでした。

英国も同様に不況が深刻化しており、ポンドは下降局面の一途をたどっていた

英国はポンド安を食い止めるため、介入により必死でポンド安を食い止めている状態でした。

ここに目を付けたのがソロスです。
彼は事前に当時のレートで日本円にしておよそ1兆2000億円もの信用枠を取り付けます。

1992年9月16日、英国が公定歩合を2%引き上げたことを「手詰まり感の表れ」と判断し、一気に仕掛けます。

手にしていた信用枠を全て利用してポンド売り・マルク買いを浴びせた

ポンドは大暴落し、その流れに他の市場参加者も乗ったため、ポンドは10%も下落、変動制限ラインの2.25%を超えます。

イングランド銀行は為替介入によるポンド買い+公定歩合を10%→12%に引き上げ、同日中に更に15%にしますが売りは止まらず、事実上ERM脱退に。

翌日、英国は正式にERMを脱退して変動相場制に移行

その後ソロスは底値でポンドを買い戻し、各銀行へ信用枠の返済を済ませています。

ポンド売りの首謀者がジョージ・ソロスであったことは10月になって判明するわけですが、結果的に英国は金利を他国に配慮することなく自由に決めることができるようになり、経済成長の要因にもなったため、ブラック・ウェンズデーはホワイト・ウェンズデーとも呼ばれています。

いずれにせよ、一国の中央銀行すらも太刀打ちできないほどの巨額マネーで国家間の通貨合意も無意味にしてしまったのが1つのヘッジファンドであったという事実は世界を驚かせました。

ジョージ・ソロスの投資手法

どちらかというと投資より投機に近い手法で、空売りやレバレッジを多用して短期売買を行ってきました。

そのため、バイ&ホールドで投資を行うウォーレン・バフェット氏とよく対比されます。

ジョージ・ソロスの投資の特徴

ずばり
小さく始める
です。

巨額のマネーを動かしてイングランド銀行にまで立ち向かっていくイメージとは真逆のように感じますが、最初に少しだけ投資をしてみてその結果が正しいかどうかを判断するという手法を取っています。

ジョージ・ソロスの投資の考え方として目を付けた投資先があったらまずは投資してみるという特徴があります。

少し買った後でその判断が合っているのかを精査していきます。
そして、合っていると判断したら本格的に投資をしていくのです。

ソロスの投資の考え方として2つの特徴的なもの
  1. 市場は常に間違っている
  2. 自分は間違っているかもしれないと思いながら常に行動する

これは非常に難しいことです。

自分は間違っているかも… と思いながらも自信をもって大きなお金を動かす判断するのです。

ジョージ・ソロスは、このような不安やプレッシャーにいかに耐えられるか常に関心を持っていたよう。

ジョージ・ソロスの名言

「生き残れ。儲けるのはそれからだ。」

「私の実践的スキルを要約せよと求められるなら、ただ一言「サバイバル」と答えるだろう。
まず生き残れ。
儲けるのはそれからだ。」

ソロスはナチス・ドイツによるユダヤ人迫害により、姓を変更しイギリスに逃れた経験を持っています。

この経験から何よりも生き残ることを最優先にする考えが生まれたとされます。

「市場は常に間違っている」

「『市場は常に間違っている』というのは私の強い信念である。
市場参加者の価値判断は常に偏っており、支配的なバイアスは価格に影響を与える。
私が確かに人より優れている点は、私が間違いを認められるところです。
それが私の成功の秘密なのです。」

多くの考えにはバイアスがかかり、その価値判断は偏っており、間違っているとソロスは説いています。

大多数の意見を懐疑的に捉えることこそがソロスが市場の本質を見抜くスキルとなっているのでしょう。

2011年の引退後でも稼いでいる一貫した投資哲学

ソロスは2011年に投資の世界からの引退を表明しました。

まりえ

ですが、2013年からのアベノミクスによる円安に乗じてたった3カ月で930億円も稼いだとも!

また2016年から中国市場で売りを中心に投資を行っていたという情報もあり、高齢にも関わらず投資スキルは健在のようです。

ソロスのように長年に渡って稼ぎ続けられる秘訣は「常に自分は間違っているかも… と思いながら行動する」という哲学とも大きく関連するのではないでしょうか。

ホロコーストという精神的に厳しい環境で少年時代を過ごしたジョージ・ソロスだからこそ、自分の哲学を貫き続けて投資の世界で勝ち続けていることができているのかもしれません。

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